由緒・沿革

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 その始まりは、民衆の間から起こったようです。明治の初め頃、出雲信仰が周防分院のある島地の周辺地域に広まっており、それが一つとなり明治34年には島地教会所として結集されました。続く明治35年6月2日には、出雲大社から御分霊をお迎えしていよいよ大神さまの御神光を戴きました。

初代所長は、永田(ながた)金一(きんいち)大人(うし)でこの人は地元の人で地元の神社にも寄付をするなど篤信家であったようです。第2代分院長は、大谷(おおたに)(とよ)太郎(たろう)大人です。当時出雲大社の布教にあたって各地の先発使を勤めていました。明治35年6月2日に島地教会所で御分霊御鎮座祭が行われた時、千家尊愛公の随行長を勤め、島地教会所監督という職についていました。もともと長門の人ですが、生涯を周防分院に捧げた方です。(おく)都城(つき)も周防分院にあります。明治39年には、豊太郎大人は、第2代所長となり、明治44年、島地教会所は分院に昇格(周防分院)し、認可を受けると、豊太郎は分院長を拝命しました。

島地教会所開設当時の盛況ぶりは、明治44年12月13~15日に行われた島地教会所開設十周年記念大祭に奉納された御米の映った写真(右)からも了解されます。この写真は現在の御神殿の前の御神殿です。(因みに現在の御神殿は大正10年12月に建てられました。)

 

以後、現在まで第7代の分院長がお道のために勤めてきました。

御祭神

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  • 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
    天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
    高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
    神皇産霊神(かみむすびのかみ)
    天照大御神(あまてらすおおかみ)
    産土神(うぶすなのかみ)
  • 天穂日命(あめのほひとみこと)
  • 龍蛇神(りゅうじゃしん)